シニア、世界情勢を考える。by tadashian

健康のためノルディックウォーキング・トレッキングに励むシニア、如何にして就業寿命を伸ばすか考える日々そして世界情勢

覇権の品格

こんにちは、 ただっしゃん(@tadashian1)です。

 

***テレビドラマの篠原涼子大泉洋小泉孝太郎の出演する「ハケンの品格」のお話ではありませんので、悪しからず。でも、再放送を観てると、みんな若いなぁと思う今日この頃です***

 

覇権をめぐる歴史のお話です。

覇権とは・・・

ja.wikipedia.org

覇権(はけん)あるいはヘゲモニー(hegemony)とは、特定の人物または集団が長期にわたってほとんど不動とも思われる地位あるいは権力を掌握すること。それによる地域あるいは国家統治を覇権統治という。それに成功したや人物は、覇者と呼ばれる。覇権は、被支配者の「同意に基く」支配を強調した統治体系という理解が一般的である。

ヒトは組織に入れば、上を目指します。出世競争に励みます。会社で目指すは、会社の一番、社長です。起業するんだったら、業界内の順位を上げて業界1位になりたいですよね。
国家も同じ、じゃあないでしょうか。まずは地域・地区で一番になりたい、その後は覇権国家(世界一)つまり、てっぺんを目指したいです。登山家が山頂を目指すように。
人類の歴史を見ると、覇権争いは絶え間ない戦争の歴史と言っても過言ではないと思います。グローバルな覇権争いは・・・過去どんなのがあったのでしょうか、振り返ってみたいと思います。

 

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<a href="https://www.photo-ac.com/profile/810857">fujiwara</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真

スペインVSポルトガル

コロンブスの新大陸発見後16世紀は、ポルトガルとスペインが植民地の獲得戦争を繰り広げていました。両国は世界各地で戦っていました。しょうがないんで、ローマ法王が仲に入ります。「スペインは、新大陸(南北アメリカ)ね、そんでポルトガルはアジアね。」(超アバウト、まあ実際はちょっと違うんですけど)結果、ポルトガルは、東洋貿易を独占して、中国や日本とも通商を開始しました。ポルトガルの首都リスボンは、世界商業の中心となります。スペインは新大陸に進出します。アステカ帝国インカ帝国を滅ぼして、16世紀末までに中南米のほとんどを支配下に置きました。中南米には大量の金銀がありました。スペインは現地人を奴隷化し、採掘にあたらせました。結果、次第にポルトガルを凌駕する力をつけるのでした。


スペインVSオランダ・イギリス
でも、スペインの威光も長く続きません。毛織物業の中心地でスペインの支配地だったネーデルランド(オランダ)が独立戦争を起こしたのです。ネーデルランド(オランダ)は1581年に独立して、頭角を現すのです。またスペインは、1588年、イギリスとアマルダの海戦でも敗れ、没落しちゃいました。


オランダVSイギリス
覇権争いは絶えることがありません。1602年、オランダは東インド会社(アジアの地域での貿易独占権を与えられた勅許会社(国王や女王の勅許もしくは国家から特別許可状をもらって設立された会社))を設立します。植民地獲得のための貿易(経済的支配)という目的も大きかったんです。世界に進出して、各地でポルトガルやスペインと戦争をして、勝っちゃいます。17世紀はじめ頃は、今度はアムステルダムが世界経済の中心になっていました。一方イギリスは、1600年に東インド会社を設立します。オランダと競争を開始します。ところが、まだ力不足で各地でオランダに敗けちゃいます。東はインド、新大陸は主にアメリカを活動の拠点にしました。
そして、オランダとイギリスは世界各地で小競り合いを繰り返します。結局、本国同士の戦争に発展します。三次にわたる英蘭戦争(1652年・1665年・1672年)にイギリスは勝利しました。オランダは没落していき、以後復活することはありませんでした。


イギリスVSフランス
オランダを蹴落としたイギリスですが、しかし休む間もなく、今度はフランスとの争いが激化していきます。フランスは、イギリスがすでに入っている場所に遅れて進出していきました。例えば、北米、インド、西インド諸島、アフリカなどです。イギリスは、1702~1713年のアン女王戦争、1744~1748年のジョージ王戦争、1754~1763年のフレンチ・インディアン戦争に勝利して、フランスを北米大陸から駆逐します。またイギリスは、インドの支配権を決めるプラッシーの戦い(1757年)にも勝利しました。こうして、イギリスの世界覇権は決定的になったのです。
その後、1776年のアメリカ独立、18世紀末から19 世紀はじめのフランス・ナポレオンの活躍などで一時苦境に陥ることはありましたが、イギリスの覇権は揺らぐことがありませんでした。


イギリスVSドイツ
鉄血宰相ビスマルクで有名なプロシアは、1871年周辺諸国を統一し、ドイツ帝国を成立させました。ドイツはあれよあれよという間に急成長を遂げ、欧州の強国ひとつになります。
1914年に起こった第一次世界大戦の主役は、イギリスとドイツでした。ドイツは敗れはしましたが、ヒトラーの登場で復活します。彼は世界恐慌を克服し、ドイツをあっという間に世界第二の経済大国にしてしまったのです!
そして、1939年第二次世界大戦が勃発します。ヒトラーの計画は、「1、ドイツで権力を取る。 2、中央ヨーロッパの最強国になる。 3、ソ連を打倒し無尽蔵の資源を確保し、フランス・イタリアを衛星国にする。 4、アフリカに大植民地を獲得し、アメリカ・イギリス・日本と並ぶ世界の四大強国になる。 5、アメリカとの覇権戦争に勝利し世界を統治する。」こういう超誇大妄想は抜きにしても、ドイツの主たる敵はイギリスだったと思います。次の主役のアメリカとソ連の参戦は、第二次大戦勃発から2年後の1941年のことです。
結果は、イギリスが勝利し、ドイツは敗北です。しかし長期的に見ると、第二次世界大戦はヨーロッパ全体を没落させる結果になってしまいました。そして、時代はアメリカVSソ連冷戦時代」に移行していったのです。その後、ソ連が崩壊してしまいます。

アメリカVS中国

これが、今現在進行形と言う図になっている訳です。

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こんな感じで、歴史は延々と続く「覇権争い」であるんですよね。そして、覇権国家と次点候補は悲しいかな、戦争でケリをつけちゃう・・・傾向が高いんですね、歴史的に見ると、ですよ。覇権国家と次点候補は戦争じゃなくて話し合いで決着をつけてほしいなあ。ハッキリ言って私は戦争は想定したくないです。

でも、中国は1989年から現在に至るまで、20年間も軍事費を毎年二桁増加させて現在約20兆円(2019年推計)もあります。それは、いったい何のためでしょうか?アメリカの年間軍事費は、約71兆円(2019年)。これは世界総軍事費の約半分です。これって、いったい何のためでしょうか?

milirepo.sabatech.jp


こうやって人類の過去の覇権の歴史を見ると、覇権に品格もクソもあったもんじゃないです。引きずり降ろすか蹴落とすか、つまり、そうなると米中が戦う確率がとても高いことがわかります。サイバー空間での戦争なのか、宇宙空間での戦争なのか、金融市場での戦争なのか、地域紛争という名の代理戦争なのでしょうか。そして、両国はその日に備えて、着々と軍備を増強している最中・・・でも、これは単なる私(年寄り)の妄想に過ぎない・・・と思いたいです。

繰り返します。ハッキリ言って私は戦争は想定したくないです。知恵で乗り越えてほしいのです。どの国も得をしないから。平和に対する品格があるならば。

 

参考サイト

覇権の推移から見るアメリカの中国叩き | 三輪晴治