シニア、世界情勢を考える。by tadashian

健康のためノルディックウォーキング・トレッキングに励むシニア、如何にして就業寿命を伸ばすか考える日々そして世界情勢

日本の15歳「読解力」8位から15位に急落、について

こんにちは、tadashianです。

 

 OECD経済協力開発機構)が3年毎に実施する国際学習到達度調査(PISA)で日本の「読解力」の順位が急落したことを、12月4日新聞各紙が1面で伝えました。これは2003年の結果でも同様に日本の順位が急落し、2002年に始まったいわゆる「ゆとり教育」への疑念が噴出したとき以来です。

 問題なのは、今回受験した子どもたち、実は小学1年から中学3年まで「脱ゆとり」教育を受けた第1期生だということです。

 実は、私自身、若手社員の作成した社内文書は分かりにくい、と思っていました。

https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/index.html

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 今回の原因の背景には、やはりスマホSNSの普及が考えられます。LINEは略語や単語、スタンプでその時の気分や感情を表現できます。ぱっと書いて、ぱっと送る習慣が身についてしまって「推敲」することもなくなります。今の大学生は板書を写メしてノート替わりしているらしいですね。また、本を読むことを通して、正しい日本語に触れることも少なくなったであろうし、正しく書く必要もない環境も出来てしまったことも原因と考えられます。

 
 でも、そもそもOECDの国際的な学力調査の順位に意味はあるのでしょうか?もちろんOECDの国際的な学力調査は国同士の教育力を競う大会じゃあ、ありません。順位の変動には意味はないと思います。意味があるなら、その背景を探り、その解決策を見つけることに意味があります。またOECD経済協力開発機構)は経済の観点から教育を評価しており、その学力観が絶対とも言えないと思います。

 だから、今回学力調査での成績が低迷したからといって「すぐに対策を!」というのも軽率だと思います。対策が必要な可能性は高いとは思いますけど、どんな対策が必要なのかは十分な議論が必要です。そこを焦っちゃうと、大学入試改革のような、すったもんだの二の舞になりかねない、ですもんね。
 ではPISA(国際学習到達度調査)が定義する「読解力」とは何なんでしょうか? PISAがいう「読解力」が日本の国語教育における「読解力」とはニュアンスの違うものではないのではないかと思うのです。

https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/04_example.pdf

 テストは書評の内容にそって5つの短文を提示し、それぞれ「事実」か「意見」かを選択させる問題や、複数の文章にまたがって類推できることを根拠を挙げて記述させる問題などがありました。私たち親世代が国語のテストで受けた「読解問題」とはだいぶ印象が違うような気がします。OECDでは「読解力(リーディング・リテラシー)」を以下のように定義しています。

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<読解力の定義>

 自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、社会に参加するために、テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、これに取り組むこと。

<測定する能力>

(1)情報を探し出す
 -テキスト中の情報にアクセスし、取り出す
 -関連するテキストを探索し、選び出す
(2)理解する
 -字句の意味を理解する
 -統合し、推論を創出する
(3)評価し、熟考する
 -質と信憑性を評価する
 -内容と形式について熟考する
 -矛盾を見つけて対処する

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 特に下線を引いた「質と信憑性を評価する」「矛盾を見つけて対処する」の2項目は、今回の調査で新たに追加された要素で、まさにこの点において日本の子どもたちの正答率が低かったらしいのです。

 

 すでに2018年に告示された新学習指導要領において、文部科学省は以下のように述べています。

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<調査の方式がコンピュータを用いたテスト(CBT)に全面移行する中で、子供たちが、紙ではないコンピュータ上の複数の画面から情報を取り出し、考察しながら解答することに慣れておらす、戸惑いがあったものと考えられるが、そうした影響に加えて、情報化の進展に伴い、特に子供にとって言葉を取り巻く環境が変化する中で、読解力に関して改善すべき課題が明らかとなったものと考えられる。>

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https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/02_oecd.pdf

 前回2015年OECD学力調査においてすでに「読解力」低下の傾向が見られたこともあって、2022年度から実施される新学習指導要領にはこれも踏まえた施策がすでに盛り込まれていて、「国語」の科目構成も変更されています。
 特に高校の国語は史上最大の方針転換と言われています。それは現代文・古文・漢文といった従来の教材のジャンルが解体され、教養的科目と実社会との関わりを意識した科目の2系統に分かれたようなのです。
 特に、高校の1年生で必修になることが予測される「論理国語」の教科書には小説や詩歌などフィクションの掲載がなんと、許されておらず!!ほぼ論理的な文章や実用的な文章のみで構成されそうなのです。OECDが定義する「読解力」に照らし合わせれば合理的な気もしますが、私は「文学軽視」「学校教科書から文学教材が消える」のではないかと危惧しています。小説よりも新聞・論文を読むほうがOECD的な読解力を向上させる意味でも効果が高いということなのでしょうか。

 OECDが掲げる指標に基づいて日本の子どもたちの弱点を見出して、打つ手を講じることはもちろん大切でしょう。でも、仮にOECDの考える「読解力」で世界一の成績をとったからといって、日本人としての国語力が優れていることにはならないと思います。

 昨今はAIに負けないために読解力が重要であるという指摘もあります、また、大学入試改革の議論もあります。ちょうどいいタイミングなので、国語教育に対する議論が活発化すればいいと思います。その際に重要なのは、「国語」という教科の目的や「読解力」という概念を整理しながら議論することでしょうね。


 そもそもOECDの「読解力」は本当に日本の教育における「国語」の範疇の中に収められるものなのでしょうか、あるいは教科の枠を越えた上に成り立つものなのでしょうか。私自身も混乱しそうです

 OECDが求めている「読解力」とはまさに、今回の結果レポートを読み、正確に理解し、評価し、考え、的確に対処できる能力・・・つまり今現在、私たち現役の大人の「読解力(リーディング・リテラシー)」が試されているのではないでしょうか。


 孫には早期の英語教育よりも国語・日本語・論理構成力そして読解力を先に学ばすべき、と娘に諭さなくてはいけないと思いました。 

 このブログも手書きしてから入力する必要があるかもしれません。まとまりがなくなるので・・・