アイデンティティとか
こんにちは、ただっしゃん(@tadashian1)です。
長年、同じ会社、同じ職種に従事していると、外部の同世代の様子を見聞きした時、自分が井の中の蛙のような気がしたりして、置いてけぼりを食ったと思い、不安に思う事があります。
業務を通して得た人脈、交渉力、販売術など、たくさんの経験や知識はあるのに、それを自分の将来にどう活かすのか、わからなくなるのです。
でも積み上げた経験はすばらしい財産になっているはずです。とらえ方や切り口で、実は色々と自分の強みが見えてくると思いますし、客観的に自分の能力を把握すると、選択肢も増えてきます。
あなたが大切にしているものは何でしょう?これだけは譲れない、ってものはありませんか?人はこうした考え方を基準にして物事を評価し、判断の基準にしています。
これを「価値観」と言います。この価値観、そうそうに変わるものじゃあありません。
自分のこれからの将来を決めるにあたって、この価値観を把握することはとても大切なことです。自分の価値観を大切にするキャリアこそ、楽しくやりがいのある満足のある事になるのだと思います。
そして自分が人生の主役と実感できるためにも、アイデンティティへの確立へ繋がっていくのだと思います。
アイデンティティとは「自分らしさの確立」とか「他人のなかで自分が、他者とは違う独自の存在であるという意識」とか「過去・現在・未来に渡る時間経過のなかで一貫した自分らしさの感覚を維持できている状態」と言えると思います。
今はコロナで自宅で籠る時間「おうち時間」が増えたのではないでしょうか?籠る時間のなかでも自分を見失わず、自分のアイデンティティを維持していくことは大変です。
以前から言っておりますが、アフターコロナにおいては、以前の時代においてすべての人が当たり前と信じている価値観が大きく変わる「パラダイムシフト」が起こることは必至でしょう。
私の場合、最近思う事は・・・
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1、私はもう若くないと感じる
2、私の年齢からすると、なにか新しいことを始めたり、チャレンジすることはもう遅すぎると感じる
3、これから元気で働ける年月・時間には限りがあると感じる
4、近親者や友人の死によって、自分の寿命があと何年くらいかと感じる
5、これから自分のできる仕事・業績などに限界を感じる
6、いろいろはことに対して消極的になってきた。現状を維持できればそれでいいと思ってしまう
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私のような壮年期の方々は誰しも感じているのではないでしょうか?
でも、だからこそ、コロナがあるなしにかかわらず、パラダイムシフトは必要だと思います。
古代中国の言葉に、青春・朱夏(しゅか)・白秋(はくしゅう)・玄冬(げんとう)というライフサイクルを一年の四季に例える言葉があります。
日本では「青春」という言葉が良いように捉えられていますが、「青春」には「未熟」という意味も含まれています。「青二才」というように、青はまだ熟れていない状態です。16歳から30代前半だと言われています。
30~50代前半が夏になります。人生でもっとも行動的な時期です。朱は色では赤を意味しますが、古い意味は「集まる」「際立つ」という賑やかな意味があります。
50代後半~60代後半が「白秋」となります。詩人の北原白秋も、この時期にあこがれたペンネームなのでしょう。経験を通して色々な物事に通じる「聡明」で「明白」な時期なのです。
70代以降が「玄冬」です。玄は黒を意味していて、深い知恵をイメージさせる言葉です。黒いお米は「玄米」、物事に秀でた人を「玄人(くろうと)」と呼ぶのはこの漢字を持つイメージから来ています。
自分が位置するのは、夏の終わりから秋の始めでしょうか。実りの秋であり、これまでの経験は努力が実を結ぶ時期なのでしょうか。昔は寿命が短かったので現在は「朱夏」の時期がまだまだ続くのかもしれません。
どちらにしても、アフターコロナがどんな実を育てているか、そしてどんな実が収穫できるか、楽しみが多くある時期にしようではありませんか。