こんにちは、そして、こんばんは、ただっしゃん(@tadashian1)です。 当ブログにお立ち寄り頂き、誠にありがとうございます。
***梅雨入り2日目、のっけから、大雨でうんざりする(ノルディックウォーキングできない、いや梅雨の中でも歩けっ!)今日この頃です***
ブログで記事を書いていると私のようなシニアには分からない単語、言葉がいっぱい出てきます。
「スマホネイティブ」という言葉
前回のブログで取り上げたこの「スマホネイティブ」という言葉もその一つです。
《〈和〉smartphone+native》スマートフォン(スマホ)が普及している環境で生まれ育った世代。スマホネイティブ。
[補説]ソーシャルメディアや動画共有サービス、メッセンジャーアプリを活用する能力が高い一方で、キーボード入力などパソコンの操作が苦手とされる。
スマートフォン、老若男女を問わず、すっかり私たちの身近な存在になってしまった情報端末です。
世代時期的には「氷河期世代」のあと、「ゆとり世代」からインターネットや携帯電話が日常になりました。
今回の「スマホネイティブ世代」ってやはり、iPhoneが発売された年、2008年が15歳以下の方々と言えるのではないでしょうか。つまり1993年生まれ以降の人達が該当するのかなと思います。
孫が私の実家に帰った時、パソコンの画面を触ろうとするのです。タッチパネルではないのに・・・。抱っこするときも、私のスマートウォッチを触ろうとします。
無理もないですね。母親のスマホ操作を身近で常に見ていますから。
だから、先日孫(4歳)が、母親の寝ている隙に、LINEで音声メッセージを送ってきたのにはびっくりしました(*_*;
もう、タイピングではなくタッチ感覚で学習できますから、飲み込みをも早いですね。スマホの凄さを実感しました。
問題点、スマホばかりでPCに触らない
スマホネイティブ世代はキーボード入力ができないらしいです。パソコンのキーボード入力より、スマホのフリック入力のほうが使いやすいんでしょうね。
2010年くらいからでしょうか、スマホのスペックが劇的に上がって使い勝手が向上しました。また2011年には「LINE」のアプリが始まりました(無料通話:これが大っきい)
多くの若者にはほとんどの用途でスマホでことが足りるので、あえてパソコンは必要なくない?って思うのは必然な流れでしょう。
もうすでにパソコン離れは始まっているんすね!
10代の36.6%は「自宅にパソコンはあるが使っていない」とする層。あるいは使っていないのではなく、使わせてもらえないのかもしれない。
いずれにせよ、10代のパソコン利用率は5割台にとどまり、36.6%は「自宅にあるが使っていない」実情にあることに違いはない。
今後の若者の動向がマーケティングの中心になる
今の若者の消費行動のキモはやはり、「SNS」なんでしょうね。
- 若い女性はスマホではアニバーサリーの思い出を「Instagram」に投稿します(男もか)。
- テレビはスマホで好きなコンテンツを好きな時に観るようになります。
- 新聞はスマホでいつでも最新のニュースがポップアップします。
- 雑誌はスマホで自分の好みのファッションやお気に入りのものだけ選択して見る事できます。
- パソコンはスマホでほぼ同環境でネットやコンテンツを見る事ができます。
- 天気予報はスマホでTVのニュース番組を待たなくて、分かるようになります。
- 銀行の窓口業務はスマホで決済(ネット銀行)できるようになります。(手数料無料だったりする)
- 家の固定電話はスマホでなら、好きな時に好きなところで好きな人に連絡できます。
- レジャーはスマホでSNSを意識したスタイルになります。
- 年賀状もスマホで簡単に済ませるようになります。
これらがすべてどうなるか、また好ましいことなのかは、世代間で意見の分かれるところでしょう。でも時代は「スマホネイティブ世代」の成長とともに進んでいくと思います。
珠川こおりさんのこと
スマホネイティブ世代を代表する作家で、私が勝手に共感する「珠川 こおり」さんの【檸檬先生】で講談社第15回小説現代長編新人賞作品です。これは彼女が通学途中でスマホのメモ帳で執筆(?)したという作品だそうです。(驚き)ちなみに、書籍自体はまだ発売されていません。読んでみようと思っています。
本書の感想ではなく、私は彼女の授賞式での言葉に感動したので、以下に引用します。
人の死を身近に感じる事がありました。その時恩師に言われたのが、長生きをして、一秒でもいい、他人を長生きさせる努力をしろということでした。それが医療関係でなくてもいい、間接的にでも貴方達にはできると、そう言われました。
夜になると漠然とした不安に覆われて、自分が一体何者なのかわからなくなる時があります。周りの人の勝手な理想像と妄信で、私は常識と普遍の枠組みの中に捕らえられ身動きができなくなる。もっと自由に生きるべきなのではないか。こんな変な世の中だから、生きることに不安を抱くこともあります。
私はただの高校生で、何をしたってどれも特別なことはなく、平凡じみています。そんな私でも、何かをなすことで、そうして間接的にでも人を救えるのだろうかと思いました。
私は「表現する」ことが圧倒的に好きです。本当に小さい時から、今でも、ずっと。表現というのは、美術だとか、音楽だとか、勿論小説を書くことも含まれていて、大体の時間をそれらに費やしています。
表現することは芸術をすることです。
芸術は、太陽であり、月である。時に強く鮮烈に、時に優しく静謐に。人々はいつだってそれを見つめる。私の創る作品はそんな人々を照らし出すほどの力なんて持っていません。ですが、本当に小さな小さな、星の一欠片くらいにはなるのではないかと思います。仄かな頼りない光しか持ち合わせていない欠片では、人をたすけることなんて到底無理ですが、この一欠片が一秒分の生きる勇気になって、積み重なっていけばいいなと思うのです。
これを読んで、私もこの一分一秒の積み重ねを大事して、生きていきたいと励まされました。
9割以上がスマホを利用している事実
言えることは「スマホネイティブ世代」の9割以上がスマホを利用している事実。これはなにを隠そう、十数年もすれば彼らは所得も増え、マーケットのコアな消費者になると言う事です。
やはり、マーケットの主戦場がスマホになるんでしょうか。爺にはわかりません。
でも、私はスマホネイティブ世代はスマホオンリー世代と言い換える事ができると思います。
スマホネイティブ世代に刺さるメディア・コンテンツを発信することはとても戦略的に重要だと思います。って全然、爺はできてないけど・・・
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