シニア、世界情勢を考える。by tadashian

健康のためノルディックウォーキング・トレッキングに励むシニア、如何にして就業寿命を伸ばすか考える日々そして世界情勢

仕事とプライベートの境界線

こんにちは、tadashianです。

今回は、現役の時に私が他の社員にめちゃくちゃ、えらそーなことを言った(社内メール)ときのことを忘備のために記します。お付き合いください。

公私混同というのを考えるとき、前任の事務所の女性社員の机を思い出します。ぬいぐるみが置いてあり、パソコンにはシールが貼られ、キャラクター物の卓上カレンダーがあり、カラフルな文房具が所狭しと並んでいました。もちろん手鏡だってあるし、休憩タイムだといって「おやつ」まで食べはじめる始末でした。彼女たちにとって、オフィスは「わたしの空間」であり、公私混同なんて当たり前のことなのです。

だから、うまく公私混同を進めていくには、彼女たちを見習うといいと思います。机の上に「仕事とは無関係なもの」を置きまくり、自分の半径50センチを「わたしの部屋」にしてしまう。スポーツ新聞が置いてあっても、週刊誌が置いてあってもいい。そして腹が減ったらおやつタイムをとっても構わない。(お客様等外部の人の目の届かないようにするのが肝心ですけど)

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そうやって周辺の環境を変えていってこそ、内面もついてくると思います。「戦略的な公私混同」ができるようになるし、家に帰ってからも「仕事の延長」という気分を保つことができます。職場だけが「公の場」で、家が「私の部屋」になっているから、家に帰ると気が抜けてしまうのだと思います。

また、私に言わせれば、「キャリアアップしたくないヤツってどうなの」って思います。出世欲とは腹を空かすのと同じくらい健全な欲望であり、向上心だと思うのです。その向上心もないまま会社に居座られても、周りが迷惑するだけです。実際の話、「プライベートを充実させるために仕事はそれなり、もしくは手抜きをする」というのは、本末転倒もいいところで、決してプライベートの充実にはつながりません。家で過ごす時間が増えたとしても、趣味に費やす時間が増えたとしても、真の満足は得られないと思います。

なぜなら「それでも働かないといけない」からです。一日8時間、面白くない仕事をして、皆の小言を聞いて、上司やお客に頭を下げ、周りから冷たい目で見られないといけないからです。

出世のメリットは、給料が上がることだけではありません。「自分の裁量でやれることが増える」ということ、つまり会社という「公」の場に「私有地」を持てることが、出世の本質だと思うのです。だから、ずっと平社員のままなら、いつまでも私有地は与えられません。

居心地の悪い空間で、誰かに言われたことを、言われた通りにやらなければなりません。責任は小さいかもしれませんが、まったく面白いものではないです。だから「プライベートを充実させるために、仕事で頑張って出世する」というのなら、大いに賛成します。

会社の内外に私有地をつくり、自分が自由に振る舞える場所を確保する、これがまさにプライベート(私)の充実ではないでしょうか。

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でも世の中には「仕事ばかりに追われる人生なんて、面白くない。人間は働くために生きているわけではない。生きるために働く。休むときはしっかり休み、遊ぶときは思いっ切り遊ぶ。そして明日から仕事に励む。」「仕事はそれなり、それよりも趣味にかける時間や家族とすごす時間を増やして真に充実した生活を送りたい。」いわゆるプライベートに重点を置いたワークライフバランス論です。
ワークライフバランス派」の主張をまとめると、「仕事に偏りすぎだった生活を改め、もっとプライベートを充実させましょう」になります。これ自体は反論しがたいものに聞こえます。

人の生き方はそれぞれですから別にいいのですが、このような生き方をして本当に「リア充」するのでしょうか。1日8時間程度を費やす仕事に対して「それなり」な態度を取っていたら、結果も出ないしつまらないのではないのでしょうか。でも、長時間労働を決して肯定するわけではありません。ただ、「仕事はそれなり、プライベートが大事」という価値観にも私は違和感を感じます。

では「プライベート」ってなんでしょうか?ひょっとして「仕事以外」の総称がプライベートだと思っているんじゃないでしょうか?もし、プライベートの定義が「仕事以外」だとしたら、人は一生幸せになれないのじゃないでしょうか。仕事とプライベートは永遠に対立したままで、常にどちらかに偏った状態、つまり常に不満や不安、焦りや寂しさを抱えたまま生きていくことになります。仕事が忙しいという事はプライベートが不足していることであり、プライベートが忙しいという事は仕事がおろそかになったり、やる気がなくなったりします。

だから、はっきり言わせてもらえば、仕事とプライベートは対立する概念ではないと思います。仕事はプライベートであり、プライベートは仕事なのです。互いに密接に絡みあったものが、仕事でありプライベートなのです。それを無理に線引きして区別しようとするから、バランスに悩んだり、生き方そのものに迷いが生じたりするのだと思います。

プライベートとは文字通り「私」のことです。趣味がゴルフやスキーだというのは「私」のことです。映画が好きというのも「私」のことです。

あえて趣味と仕事の違いを挙げるなら、それはお金です。趣味とは「お金を払ってやるもの」です。そして仕事とは「お金をもらってやるもの」です。本質な違いはこれだけだと思います。

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「仕事 vs プライベート」という対立軸で事を捉えると、「どちらかが充実するとどちらかが不足する」という状況に陥ってしまいます。仕事を充実させればプライベートに割く時間がなくなってしまうし、プライベートに割く時間を増やせば仕事がおろそかになっていく。この構図で仕事とプライベートを捉えているかぎり、何らかの不満を抱えるしかないのです。


そうではなくて、仕事とプライベートを一体として捉え、双方の満足度を最大化するためには、その境界線を取っ払ってしまえばよいのだと常々私は想ったりしています。