シニア、世界情勢を考える。by tadashian

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【中国経済】発展の礎を築いた人は

こんにちは、そして、こんばんは、ただっしゃん(@tadashian1)です。 当ブログにお立ち寄り頂き、誠にありがとうございます。
 

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7月1日、中国共産党は、創建100周年を迎えました。

100年前は、十数人からスタートしました。それが今では、党員約一億人弱!

ほぼ日本の人口が共産党員・・・唖然


習近平は7月1日、天安門広場で演説を行いました。

演説内容を一部、引用します。
 

中国共産党と中国人民は勇敢で強固な奮闘をもって世界に厳かに宣言する。

中国人民は古い世界を打ち破ることに優れているだけでなく、新しい世界を建設することにも優れている。

中国を救えるのは社会主義だけであり、中国を発展させられるのは中国の特色ある社会主義だけである。

 
中国のことをうまくやるために、カギとなるのは党だ。
中華民族の近代以来180年余りの歴史、中国共産党の成立以来100年の歴史、中華人民共和国の成立以来70年余りの歴史が、すべて十分に証明している。
中国共産党がなければ、新中国はなく、中華民族の偉大な復興もない。

歴史と人民は中国共産党を選んだ。
中国共産党の指導は、中国の特色ある社会主義の最も本質的な特長であり、中国の特色のある社会主義制度の最大の優勢であり、党と国家の根本的な所在、命脈の所在、全国の各民族の人民の利益と運命に関わっている。

習近平の発言は


1、中国は、【社会主義だから】発展した

2、中国は、【共産党一党独裁だから】発展した


と彼は考えています。


たしかに、中国がここ40年間、「世界最速で成長した」のは間違いないです。

発展のきっかけ、習近平は、ここを勘違いしていると思います。



中華人民共和国は1949年に建国されました。

毛沢東は、天才的戦略家でしたが、「大躍進政策」とか「文化大革命」とか、わけのわからないことをして、内政はボロボロでした。

だから、毛沢東の存命中は、中国はまったくというくらい停滞していました。


では、いつから中国は成長を開始したのでしょうか?

1976年に毛沢東が死に、鄧小平が表舞台に出てからなのです。


鄧小平は1978年12月、「改革開放路線」を宣言しました。

「改革」の中身はというと、「資本主義を導入すること」でした。


彼は、謙虚で温和な姿勢を崩さずに、日本、アメリカに接近して関係を大いに改善させました。

それは、彼が、決して「謙虚で温和な性格だったから」ではありません。

日本、アメリカと仲良くすることで、資金や技術を無料でもらうためです。



そうなんです、中国が発展したのは、賢明で、ずる賢い鄧小平が、


1、社会主義路線を保ちながら、資本主義経済を導入

2、日欧米に接近することで、中国経済発展に必要なものをゲット


したからなのです。

米中関係は80年代末から90年代初め、「天安門事件」「ソ連崩壊」で悪化しました。


しかし、中国は93年、アメリカとの和解を成し遂げ、さらなる成長を実現します。


結局中国が成長したのは、


鄧小平、江沢民胡錦涛 が、


社会主義を堅持せず、資本主義を導入し

・日欧米から、ありあまる資金と技術を受け取り

・欧米と良好な関係を、努力して維持してきた


ことが原因なのです。

もっといえば、中国は、「日欧米と良好な関係にあったから、発展した」のです。


これを、「平和的台頭戦略」といいます。


ところが習近平は、中国が発展した理由は、


・中国が社会主義だから

・中国が共産党一党独裁だから


と勘違いし、
 
中国の人民は、外部勢力によるいかなるいじめ、圧力、奴隷のように酷使されることを決して許さない。
故意に(圧力を)かけようとすれば、14億人を超える中国人民の血肉で築かれた「鋼鉄の長城」の前に打ちのめされることになるだろう。

要するに、「アメリカを打ちのめす」と宣言しているのです。


中国はこの40年間、驚異的な発展を遂げました。

その理由は、鄧小平の「改革開放路線」のおかげです。


習近平は、鄧小平を否定し、30年間の恐怖と停滞をもたらした「毛沢東路線」に逆戻りしています。

だから、習近平時代になって、中国はどんどん成長しずらくなっていくと思います。
 
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